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コンサートマナーはコンサートの敷居を高くするか

「コンサートマナー」と「クラシック音楽の敷居」という話題は度々Twitterクラシック音楽ファンの間で話題になる。

わたしの相互フォローの方々も例に漏れずそうした話題をツイートしては反応をもらうのだ。例えばこうしたものだ。

「コンサートマナーについてうるさくいうなら、コンサートに行きたいと思うクラシック音楽初心者を遠ざけてしまうのではないか」、と。この記事では、こうした反応に対する対処やコンサートマナーが何のためにあるのかを考えていきたい。マナーが具体的になにを指しているかというのは国内の管弦楽団定期演奏会のプログラムによく書いているのでそちらを読んでいただきたい。

そもそもマナーとはなにか。それぞれの場においての礼儀作法であり、規則とは違い、法や規則のように明文化され誰でも目を通すことのできる様に普及しているものでもなければ、違反したとしても明確な罰則を与えられるものではない。しかし、マナー違反をしたことによりその場の雰囲気を乱したら大きな恥をかいて、余程厚顔無恥でなければそこにもういられなくなるであろう。

マナー違反したらどうなるか、それよりも大切なことがある。何故あるのか。その場にいる人々を不愉快にしないように、食事においては料理の味や会話を楽しむために。そして、コンサートにおいては開演から終演まで会場にいる誰しもが演奏内容以外の要素で不愉快な思いをせずに楽しむために。

コンサートマナーがどうして大切なのかを示したところで、次はコンサートマナーがコンサート初心者の敷居を上げるのかと問われることについて考えよう。先程述べたようにコンサートマナーは演奏以外の要素による不愉快さを排除して演奏を味わうためのものだ。どう振る舞っていいかわからない初めてコンサートに来たお客は他のお客に不愉快さをを与えてしまうかもしれないと同時に与えられるかもしれない可能性もある。不愉快を与えてしまったことでもうコンサートには行かないかもしれないし、不愉快になったことで行かないことにするかもしれないのだ。

敷居を下げるためにマナーの考え方としては、初心者にどう振る舞うかを教えるだけではなく、自分たちの振る舞いも正していく必要がある。先人が良く振る舞えなくて後進がその様に振る舞うことができようか。敷居を上げるのも下げるのも先人次第なのである。

結局の所、コンサートマナーの大切さを論ずるものに対して「初心者のに対してコンサートの敷居を高くするからそういうのは止めろ」というものは、初心者のことなど考えていない。大切さを論ずることが煩わしくてそれを叩くための方便としているだけに過ぎない。まともに取り合うだけ時間の無駄である。無視していいし、なにかいうにしても「知らんがな」だけでいい。

【おまけの動画】

パウル・リンケ(1866〜1946):ベルリンの風。ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団の野外コンサートでの定番アンコール。


Lincke: Berliner Luft / Berliner Philharmoniker (with Simon Rattle at the bass drum)