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クラシック音楽、未聴音源が山となる問題〜導入編

未聴音源が溜まっていくのはクラシック音楽ファンにはよくある話である。

5ちゃんねるクラシック音楽板には、旧2ちゃんねる時代から続く「未聴CDの山を見て人生の残り時間を考える」というスレがあり、その歴史は2004年10月22日から始まり、現在まで29スレッドまで続いている。

QUEENの名曲 ボヘミアン・ラプソディーも発表時は、当時の市オングルレコードの収録時間の相場である約3分を優に超える5分50秒であったことでレコード会社やラジオ局から否定的な意見が出た。


Queen – Bohemian Rhapsody (Official Video Remastered)

今でこそ1枚あたり約80分を収録できるCDが安価で発売されて1曲あたりの長さも収録可能な時間の分だけ伸び、編集技術も当時とは比較にならないほど成長した。とはいえ、消費者が鑑賞に耐えうる時間や、なにより、編集の効かない実際に奏者が演奏に耐えうる時間はそう伸びるものではない。ましてや、軽音楽は売れなければいけないのだから時間は短いほうがいいのだ。未聴音源ができるにせよ、それはクラシック音楽のそれとは圧倒的に少ないであろう。今は、オーディオにこだわらないのであれば、サブスクリプションサービスを専ら使用することで物理的なパッケージを所持する必要はなくなる。

対してクラシック音楽の場合はどうだろうか。夢中に聞いていれば体感時間としてはそれほど長くは思わない場合もあるし、絶対時間としてはやはり軽音楽の1曲分より短いものも勿論存在するので、買ったときに消化していけば未聴音源はできないし、サブスクリプションサービスだけで済ませられるはずなのだ。

しかし、それが次々とできてしまうのだ。それも、聞き手として成長していくと増える量も多くなっていくのである。

何故だろうか。聞き手としての成長とは何かを次の記事で考えていきたい。

【おまけの動画】

特に意味はないけど、今日聞いた曲を。今音楽教室で見てもらっている曲。


Mozart Sonata in G, K.423 for Violin and Viola