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クラシック音楽、未聴音源が山となる問題〜聞き手の成長とはなにか

シリーズの記事としては4日ぶりの記事となる。前回の振り返りをしておこう。

聞き手の成長となる要素は2つあり、1つは知識やその獲得、もう1つはCD動画の視聴及びコンサート鑑賞などの視聴経験やその蓄積である。その2つは両輪の存在であり、どちらが欠けても音楽鑑賞は成り立たない。

ざっくりとまとめればこういう話であった。

今回は、聞き手の成長について考えていく。

聞き専に限って云うと、聞き手の成長とは、端的に言えばこれからも音楽を聞き続けていきたいという意欲を持つことを主とするものである。鑑賞した曲について言語化し、旋律やハーモニー、リズムなどといった音楽作品の内容を細かく聞き分ける能力を得ることは無自覚でも身につくこともあるものなので、聞き専にとっては副次的な要素である。

何故それが成長といえるのか。どうすれば意欲を持てるようになるのか。何故成長が必要なのか。とても難しい話ではあるが、これらを示さなくては意味がない。

先ずは成長を定義してみよう。「成長とは何か」を自分の言葉で定義せよという記事の最後に

 

成長の反意語は失敗ではない。「挑戦しなかったこと」である。

 

とある。なるほど、そのとき失敗しても次に成功する可能性を抱いて挑戦すれば成功を手にする事ができるのだこれを基に演奏家の立場から聞き手にとっての成長について考えることにしよう。

わたしはアマチュアながらにヴァイオリンを弾き、アマチュアオーケストラのメンバーになり、定期演奏会での演奏に参加した経験がある。そうした立場、や経験からすると、お客さんが来場し最後まで聞いていただけることがとてもありがたいことである。興味はそれほどないが友人が出演するから付き合いで来場した、という理由で来場して多少なりとも興味を持つようになり「よかったな、また来よう」と思っていただき次回も来場する可能性があるということは、次回もいい演奏であることを期待することに他ならない。また、その回が拙い演奏で気に入らなかったとしても「次回はいい演奏かもしれない」、そう思って来場を考えることだってある(尤も、これはある程度の経験を得ているお客の場合であることが多いが)。次も聞きたいと思うことは可能性に賭けることであり、それは紛れもない成長である。聞き手にとってはどうだろう。趣味を持つ、持続させることに動機や意欲が必要だからである。

また、どうすれば意欲を持てるようになるのか。細やかな因果関係を書くことは困難なので詳細な記述を行わないが、大きく分けて2つのケースで意欲を持つようになる理由がある。1つ目は経験の乏しい場合は、聞き手にとって演奏や奏者をとても気に入り次も聞こうと思うようになることで、もう1つのケース、経験の多い場合では過去に奏者を気に入って次回の来場への機会を得たからだろう。奏者においてはいい演奏を聞き手に提供し、聞き手においてはいい演奏を得たり奏者のファンとなることが聞き手の意欲を引き出す手段や動機となる。

そして成長が必要な理由については、アマチュア奏者や音楽業界にとっては自明のことである。来場や音源購入、サブスクリプションの契約には動機や意欲が不可欠であるから。聞き手にとっては成長、つまり次回に賭けることそのものが必要であるからだ。

 

以上のように、聞き手の成長とその理由を考えてきた。次回は、聞き手の成長がどう未聴音源の発生や増加を促すかを考えて、結びを書いていきたい。

 

【おまけの動画】

重い文章だったので気分を上げていただきましょう。