書讀む月日

言葉の数だけ世界は拡がる

音楽について書いた文章で内容を伝えるために必要なもの

演奏会の感想や音源を紹介したSNS投稿やブログ記事を読んで、聞いたことがなくても内容が伝わる文に感じる共通点について書く。別に特別なことを書くわけではなく、これらは芸術音楽を嗜む諸兄にとっては当然の事柄であることを最初に記しておく。

 ある日のTweetから

常々考えていることなのだが、聞いたことのある録音についてのTweetでありながらその内容が自分の体験や感覚と一致しないものを見たあとこうつぶやいた。

 音楽を語るときは、誰にでもわかる適切な言葉を使い誰にでも通じるような書き方をして自分なりの表現をしたいものだね— 天々座しゅう@復活オケは9/20 (@schumannian_jp) 2021年3月12日

 書きたいことは上記のTweetを引用することでほぼ達成してしまったが、ブログの体裁を保つためもう少し細かく書いていこう。

 伝わる書き方

伝わる言葉を使って

人によってイメージに差が生じる言葉を使うとそれだけで発信者と受け手に認識の齟齬が生じる。ある言葉を使ったときそれを目にした誰もが同じイメージを持つことは不可能だが、認識の齟齬を最小限にした言葉を使いたい。認識に齟齬が生じるだろうと思う言葉にはあとで補足を加えるのが望ましい。 

誰にでも通じるような書き方で

それこそ一般的な文章の書き方を学べばいいだろう。一文一義でくどくないものをこころがけるといい。

しかし自分なりの表現で

誰にでも伝わる言葉と書き方でそんなことができるのだろうか。僕はできると思う。紋切り型や読者との共通認識に任せることなく音楽の現象面を考察し、それを誰にでも伝わる言葉を使ってなるべく細かく記述するのだ。美術史や美術評論が作品記述、すなわちディスクリプションなしでは成立しないのと同様に、音楽作品や演奏の記述なしには音楽について伝わる内容を書くことは出来ないと考えている。音楽のディスクリプションが自分なりの音楽についての書き方を導くだろう。

参考

ディスクリプションの方法論については此方を 

美術を書く

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